共に語ろう 電気のごみ

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~もう、無関心ではいられない~という副タイトルの
ゴリゴリの推進派の会議に出席しました。
新手です。NPO法人持続可能な社会をつくる元気ネットという謎のおばさん主体(ごめんねぇ)NPO法人が、三菱総研のスタッフのみなさんと、資源エネルギーチョウの面々と網走に乗り込んできました。
おばさんいわく、「この電気のゴミに対して私たちがあまりにも無関心なんでぇ」と問題提起。
この原子力のくだらない問題とむきあってもうかれこれ25年の私、初めて推進派の人々と直接口を聞くことができました。いつも逃げちゃっている人達が、ワークショップ形式なんてやるからポロポロしゃべってくれました。
まず、仕込みがすごい。ここからは日本各地で核に心を痛めて、日々活動されている方に心をこめて、報告をします。
この仕込みに、地元のあやしげな人間に渡りをつけます。
そして、その人間が十人ばかし集めて、事前にレクチャーを付け焼き刃でおこない、彼らは地域ファシリテーターと呼ばれます。
第二段階、なんだかんだゲーム方式でグループわけして、人間を移動させつつ、結局は関心のある人間を散らばしてしまう作戦です。ここでこのゲームに乗らず、質問が3つぐらいに分けられていますから、自分たちがひとつに固まらないように気をつけてください。つまり、「この問題に関心ある人、中ぐらい、あんまりない」というような質問ごとに3つに別れてしまうと、核に問題を感じている人たちは、素直にあっさり問題に関心のある人というグループに寄せ集まってしまいます。そこからバラバラにされるわけですが、こちらの目標としては、すべてのグループにこの問題を勉強した人間がちゃんと入らないと、連れてこられたひとや、お義理で参加した人が、うまく洗脳されてしまう危険でしがあるので気をつけてください。
今回の反省として、ひとつのグループだけ、推進派オンリーのグループだったので、「土地の値段はどうなる?」「温泉施設が充実してもらえるとみんなが幸せになるかも」みたいな、夢物語を信じさせられたグループがいました。
泊原発のある泊村をみてもお分かりの通り、若い人はみんな逃げ出してしまいました。
問題なのは、この会議が開かれる前に消費者協会の人などが、北電のしたてた無料バスに乗って泊原発見学ツアーに連れ出され、立派な施設を見せられて着ているという手際の良さです。村の中に入ることなく。
このような前置きがあっての施設が立派になるという話は、本当らしく聞こえるものです。
第三段階としては、さまざまな意見が出ても、三菱総研なりのプラス思考で、みんなの意見を書き換えてしまうことです。まず各班に配置されている人は、北電社員となぜか元気NPOのおばさん、そして気持ち悪く机のはずれに三菱総研スタッフ。この状況で、地元人は5人。そのうちは事前仕込みの2名、さらに北電の無料ツアーにつれていかれたおじさん一人、あとは素の参加人は一人、そして私です。そこで、私は包み隠さず、チェルノブイリに20回以上行っていて、この中でいちばん被爆者と接していますと自己紹介しました。事前仕込みのお二人がここで「突然の指名と仕込みで自分たちは、ファシリテーターできるほと、何も知らないのです」と、吐露してくださいました。
やった!空気が変わった。
北電社員につくときにわてらの意見もきかないで今更なんだ!とブチブチいうとやりにくそう。すかさず緊急指令が出て、東京大学の先生が急遽、私の班に配置されました。と、と、東京大学ですよ。はじめてチョウチョウはっしのやり取りですが、脳みそがこっちは旧原人レベルですからちょっとドキドキです。煙に巻かれたらどうチマチョウ。
さて、東京大学の先生は「あなた達の使った電気のことを考えないとは無責任でしょう」的な非科学的なこともおっしゃります。はっきりいって、この地域の人間の80%は夜8時には寝てると言っても差し支えないほど電気は使っていない。しかも、太陽光発電で売電までしている人もたくさんいます。北電の分の廃棄物に関して責任あるといわれればわかるけど、本土!の大都会で夜中まで起きて電気を無駄遣いしている人間から言われたくないし、しかも、作るときには意見も聞かず、道民投票もさせず、勝手につくっておいて、ゴミに無関心は何事かとは、こっちが何事かと言いたいわい!」とああ、初めて推進派と言われている人たちに言えました。この私の意見は、「都会24時間のコンビニ」と集約されました。ギョギヨ。
さて、この科学者の先生からの見解は、「高レベル核廃棄物が自然レベルにもどるのは5万年。ガラス固化体を埋設したあと、徐々に溶け出すのは1000年。すこしずつ溶け出すので、影響ない」
「ガラスの上に鉄鋼、そして粘土で覆うので影響は急にでない大丈夫」
「硬い地盤に埋めるから大丈夫」
「地盤って、サンプルとるだけで変化しちゃうこともあるから難しいこともある」(ここらへんは正直ですね)
そうなんです。地盤は変化することがあるんです。あの人たちの定義では絶対ないというけれど、十勝沖の地震のときも井戸が枯れたりわいたり色々の理由で変化あるんですよね。
ドイツの岩盤処理も水がわいて中止になった話もご存知のようでした。
新しい情報としては、幌延町の町長も受け入れ認めているということも聞きました。これは初耳なので確かめなければいけませんね。
そして、もう一つ、元気すいとられるおばさんたちの大きな間違いは、原発はトイレなきマンションと最初から言われている。そのゴミがいっぱいで、どうしてみんな無関心なの。捨てるところを探しましょう!という前に、まず。ゴミをダスのをやめましょうじゃないですか?ゴミを増やすのやめてから、地下埋設処分ではどこもいやだというのだから、地上処分という方針でしっかり論議しなければ行けないでしょう。
できないですよね。だって、みんなの目に触れさせたら大変でしょう。その本性がわかるから。何千年も容器を入れ替えてやっていけるのか。誰がそんなことやるのか、ロボットも壊れてしまうのに。
たくさん、言いたいこともあったけれど、初戦はまだまだジャブです。
網走だけじゃなく、紋別の人も、無料泊原発体験ツアーに招待されてノコノコついていってしまったというのですから油断できません。
まず、この人たちの洗脳をとくことからはじめなければ。
そして、最後に推進派の人たちの魂も開放しなければなりません。北電社員も三菱総研も、東大の先生もみな優秀の人たちなのに、ひとつの答えのために、まじめに第一次産業で誇りをもって働いている人たちを言いくるめるのに必死ですが、それができません。
この人たちの良い頭でもっと、別の回答を探し出させなければ、人間の開放や真の自由などありません。埋めるための研究ではなく、すべてを洗いざらい告白し、その上で被爆者を出さないような研究に邁進して欲しいものです。
「ウラン安い安いというけれど、先住民(ウランを掘り出しっぱなしで被爆させ)や被爆者を救済しない。そういう費用が入っていないから安いんでしょう」と先生に行ったらイヤな顔していました。
そして、巧妙に最後に「この地域につくるとしたら」という質問を差し挾むのですが、もちろん否定した私の意見はメモられていませんでした。年間10件のワークショップのために3千万円の予算。あなたは市民として黙っていられますか?もう我慢できない!ですよね。いいかげんにしろ。人間がそばにたっていて20秒で死ぬものを地層に捨てるな!
はじめて言いたいことを幾分、直接相手にぶつけられたわけですが、気持ちがスッキリ?いいえ。人のやっていることを否定することぐらい気持ちの悪いものはないのです。くじけそうになるとき、自分を支えるのは犠牲になっている子どもたちやその母親たちの涙なのです。
このようなワークショップの開催さえ許してはなりません。ニヤニヤ笑いの人がいたら、自分の土地だけ高く売り抜いて逃げてしまう算盤たたいている人たち。どうか見ぬいてください。
NPOを装ったおばさんたちは、あなどれません。プロです。誘導していないふりして誘導するのに慣れています。
あめが無料で配らられていましたが、何か呪文がかけられているかもと思って食べませんでした。添加物だらけだったし。(あめに呪文の話はいつかのブログで書きましたがいつかまた書きますね)

天の声?

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うわぉ、日本人得意の異質な人いじめ、朝青龍のお行儀が悪いと。外人なんだから、そんな伝統文化だの押しつけて恥ずかしいなぁと思います。そもそもその伝統芸が、他国の力を借りてやっているくせに、おすまししていることが、形骸化の象徴ですよね。感謝の気持ちもない。お金やってんだろう、出世させてやったろうていう態度が、日本人はありますよね。よく外国に援助しているボランティア団体の特に男の代表のこんなふうに勘違いしたのが、たまにいます。
助っ人外人をおしおきして、肝心の政治家がお仕置きされなかったことが本当に悲しい。
北見に来て、田舎ライフにもなじんできたこのごろ、なんと、晴天の霹靂。網走で、(高レベル廃棄物の北海道に捨てましょう!)もう待つのはまっぴらごめんよ!的なNPOをよそおった集会が開かれることを知らされました。
背筋が凍り付くようなこの感覚を何度味わったことでしょう。
情けないことにいつも彼らが先手なのですよね。
年末、坂上の雲~なんて呑気に道北に出かけて、ホロノベが危ないと聞いてきた矢先、網走ですか‥。もちろん、網走にはできないでしょうけれど、周囲には人口減に悩んでいる怪しげな市町村がごまんとあります。後継者もなく、放置された膨大な土地土地土地。
民主党政権でも、ホロノベの予算は天の声で通っていきました。(誰の声かわかりますよね)
なんで、旧社会党を含め、原発推進なの?人権派をきどっておいて、科学優先なんだなぁぐらいにしか思っていなかったけれど。
そして、何気なく机の引き出しをあけたら、いつか切り抜こうと思ってやぶいていた新聞の切れ端が突然現れました。これが本当の天の声。できれば聞きたくなかった。
「西松建設、原発関連に不透明な融資‥」昨年の日経の記事でした。
こういうことか。本当に裏で糸を引いているやからは、きちんと証拠を残さないで、生き延びていくんですね。
知恵もない、浅はかないいわけの外国人力士を追い出しておいて、この国はおかしいぜよ!
お金のためになら、どんなことでもする人たち。この寒い網走にまでやってくるというその人達の後ろには、かわいい家族が居るんだが。はっきり言わせてもらう。
黒い金で養えば黒い家族になるから。黒い家族って何?いろいろありますよ。すぐに黒くなる場合とじわじわと。

パン

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味というのは、いろんな場面と一緒に、記憶しているようで。
昨年夏、斉藤農園さんから送っていただいた野菜を食べたとき、「わぁこの味だよ」。同じ有機無農薬の野菜でも、土地やらつくっている人、いろんなことで味が違って当然ですが、瞬間にして、葉の裏口に記憶が移ります。山のようにつまれたどろんこの大根やら、野菜たちを急いで冷蔵庫に移したり。筋だけ残して食べきった虫たちの満足顔に出会えたり!あんた緑だよ、身体が!
お客さんには見えなかっただろうそういう生産者さんとのやりとり。虫たちを一生懸命裏口の木々に移したり。懐かしい~。
先日は、パンを想い出しました。これはもう20年近く食べてきた人のパンなので、たまに想い出しては懐かしんでいます。入手は困難なので、思い立って、つくってみました。
もちろん、そんな大それたパンではなく、全粒粉のむしパン。ちゃんとしたオーブンもないし、ま、これでいいか。
確かこんな感じで、とこねていると、あ~あ、大失敗、レシピ通りに水を入れてしまいました。そうだった。道産小麦とか、国産小麦の類は水分が多いので、様子をみいみい入れなくてはいけなかったこと。結局はいい感じになるまで相当粉を足しました。
中華風の蒸しパンは、中国の方に教えてもらいました。もう、これは本当にはまりました。発酵した種をまた次の小麦に入れてこねとけば、ずっとその種はいきるわけですから。中国では、それを毎朝蒸して、朝食にするんだと懐かしそうにその方はいっていました。働きにでる父母の代わりに、子供とおばあさんがこねとく係だと。なるほど。
その彼女が、「うわぁ、この粉から水が出てくる~」と言って、粉を足していましたっけ。
せいろで蒸して食べるその蒸しパンは、本当にそぼくで、朝ご飯というよりは、朝のお茶のお供なのかもしれません。
全粒粉のパンはこちらではなかなか売っていないし、ようやくみつけてもあれこれ入っていて、どうしても満足できなかったんですが、全粒粉の蒸しパンは久しぶりに、ああこんなふうだと味わいました。
本当は、葉でも出したかったのですが、ティータイムのお茶と一緒に。
でも、粉ものをやっている時間があったら、長岡式酵素玄米を炊いていくミッションの方が重要だったので当然と言えば当然です。
先日、とある生産者の方から、チェルノブイリのチャリティーの方へと無農薬のお米をご寄付いただきました。
品種はイセヒカリ。コシ係のように過剰な糖分と粘りはありませんが、長岡式で炊いてみても、コシとは違ってまた魅力的な味です。硬派な主食がお好きという方には、チャリティー価格でおわけいたしますので、ご連絡を。(玄米です)

エコハウスの中

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人生とはわからないもので、あっというまに料理の世界から離れて1年たってしまいました。
今でも、耳の中にさまざまな会話や長岡の玄米を炊いている音などがよみがえることがあります。
それでもようやく、事務仕事という苦手な仕事になれつつあります。(年明けにパソコンのスペシャルな人に来てもらって、楽になるソフトをいれてもらったせいもありますが)
昨年、ブログを書く時間さえなかった。葉のときよりも、自分の時間がなかったということにまず驚いています。
いちばん、書きたくてじっくり書けるときまでとっておいたお話をひとつ。
それは、仕訳事業などで問題になっていましたよね。行政法人のあまくだりのなんやらかんやら。入館数がどうだろうと決してつぶれないミュージアムがいくつか、このオホーツク地区にもあります。
その一つを訪れたときのこと。
ま、いちゃもんをヤクザのようにつけようと思えば、観る人のことを考えていない博物館なぞ、なんぼでも因縁つけられるのですがひとこと。縄文時代の遺跡の博物館なのに、発掘調査をしているパートのおばさんたちそのもののミニチュアコーナーが必要か。まるで、小学生の自由研究のように紙粘土でつくったような。発掘時の写真とまったく同じように再現されていたのだけれど、因縁つける前に、ふきだしてしまった。
そして、展示物をはりがねでかべにくくりつけている始末です。
そこで私は、やはり自分の衝動を抑えきれなくなりました。受付のおじさんは、入館者にまったく興味なし。入っているのは私ら二人だけ。今日は、そして明日も誰もこないだろうこの博物館の壁にはそうとう貴重なほりだしものが、むきだしでくくりつけられていました。「適当」なしごとぶり。
そう、ウクライナのチェルノブイリ博物館のように。放射能をまんまんとたくわえたペンチやらヘルメットが無造作にみなさんさわってくださいといわんばかりに放置展示されていたのでしたっけ。
さてさて、展示物に手を触れていけないのは、もう大人のマナーでしょう。これが守れないで、他の何を批判する。天下りの人々の心根をくさす資格などあるわけがありません。
頭の中はもうそんな考えでぐるぐるしていました。
ほんのちょっとだけ、できごころで。おじさん観ていないよね。
本当に胸がどきどきしました。そして‥。ごめんなさい。
石でつくられた斧、それらしく木の皮か何かで木のえだにくくりつけられて現代の斧のような形にされていましたが、もちろん出土したのは先の石斧の部分だけでしょう。
先に見てきた竪穴式住居などをみれば、木を切るための斧がなければできない技です。本当?本当にそんな石でザクザク木が切れるのか、疑い気持ちでいっぱい。そして、はるか昔、九州あたりの遺跡ではよくできた丸い石斧が出土して、それで木をくりぬいて船でやってきた人がいると。本当かなぁ。
石斧の刃先だけ、神様ごめんなさい。えいっ。すっとなぞってみました。
細い刃先。切れるかも‥。みがきあげられたんでしょう。ヤスリは何をつかったのかはわかりませんが。
一緒に出土していた黒曜石でつくった鏃などもよくみればりっぱなツルツル感、光沢感がありました。磨き上げられている。
あるパワーストーンの出店をのぞいたときに、やじり型の黒曜石に惹かれてついつい買ってしまいました。さまざまなパワーストーンの効能をチャネリングしながら話しているようなその店主に「これはどんな意味が、パワーが‥」「それ、武器でしょう。単に」
ですよね。黒曜石をたたいてやじりの形にしあげているのですが、私が惹かれたそのヤジリに比べたら縄文時代のそれのフォルムの方は、はるかに小さく精度が高い。
というわけで、そのヤジリを磨き上げようと、今年の目標(なんだそれは)にしたわけです。白滝というこのすぐ近くは黒曜石の産地だったらしく、縄文の彼らは、それをつくって売っていたんだと思いました。貿易品。今風にいうと観光みやげ。
オホーツクの縄文時代にはざっと数千年の間をおいて同じ場所に、竪穴式住居のあとが出ていて、両方展示されているのですが、両方の縦穴住居に特別な差は感じられませんでした。対して大集落でもない。冬暖かく夏すずしい究極のエコロジー別荘。たくさんのカキやホタテ、かにの海産物が採れることから、たぶん、観光地だったと。アイヌの人たちもアムールまで交易にでかけて行っていたのですから、同じような交流があったとしても不思議はないでしょう。夏場の交易のために、黒曜石をみやげもの品として加工していた人たち、夏、遊びにやってくるどこかの縄文時代人の別荘だったのなら、数千年単位で、そこに縄文遺跡があってもなんの不思議もない。
住むにはちょいとふべんかなと思うような場所でしたし。
そんな想像をしながら究極のエコハウス、竪穴式住居で息をひそめてみました。
私が縄文人なら、そんなふうに自由に暮らしていただろうに。
でも、なわばり争いしていたかしら。冬は沖縄で、夏は北海道、いいですよぉ。
もちろん、しばれ体験もしてみてほしいところですが。
エコハウスと言えば、友人が家を新しくするのに、太陽光発電にして、夏は北電に売電していると、鼻息も荒く、目を光らせて離していました。
原発反対運動などでは勝てるわけもないけれど、でも、北電に電気を売っている。それって北電に勝ったよね!オーオーと雄叫びをあげて、帰ってきました。灯油も買わなくてよくなったと。彼らのエネルギーから自由にならねば。
政権変わっても、核汚染に対して無防備・無策、無頓着、無神経・で悲しいため息です。
縄文時代の人たちが高レベル廃棄物埋めていたとして、それでも当時のプルトニウムはまだ四分の1にしか減っていない換算です。私らのやっていることが罰当たりとしかいいようがありません。
そんなお話を、誰もいない放置・博物館の遺物たちと感じてきました。
竪穴式住居、やっぱカーペット敷きたかったです。板間もあったみたいですが。

坂の上の雲

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テレビでたびたび流れる豊富町ロケの話についつい、行きたいな~でも遠いな~と判断しかねて。
え~い!行ってまえ。って、北見から豊富町のルートがない。想像上のルートとしては、稚内まで北上していくバスがあるのでは‥などと甘いことを考えていたけれどそんなルートはなく、旭川まで出てそこから札幌から来たJR乗り換え。
しかも、豊富町に夜の十時半すぎにつく。そこからタクシーもない。電話が留守電。知り合いで誰かアルバイトでガイドをしてくれる人はいませんかと探しましたがみつかりませんでした。
そんなわけで、もういいや。JRに乗ってしまいあとは、もう旅館の人に相談して迎えに来てもらいました。案の定真っ暗で。アレルギーに良いとされ、道外からたくさんの人が湯治におとずれている温泉につかってみました。妙にぬるぬるしているわけでもなく、普通の感じですが、次の次の日ぐらいからなんだかしっとりしてきましたよ。
さて、次の日、朝一番でタクシー会社に電話してみました。豊富町に一台しかない。知り合いは留守電でまったく通じず。
そんなわけで、その町民のお足の貴重なタクシーに載せていただいて(これが実は大成功!)。タクシーの運転手さんが、今日のロケ現場を調べてきてくれます。
なんでも、山奥で撮っているときは立ち入り禁止と言われ、その入り口付近からはまったく見えないのだそうです。(もちろん、山奥まで潜り込む覚悟はありましたけれど)なんと今日は運のいいことに、草原で馬が走り回るシーンを撮影するので、道路から丸見えのところだと、情報をキャッチしてくれました。
そんなわけで、おお、とん田兵のような格好をしたエキストラの方が馬の面倒を見ています。
なんでも、演技する馬は東京からつれてこないといけなかったそうです。砲撃でバターンと倒れたり、立ち上がろうとして立ち上がれないとか、そういうのはどさんこには無理なんだとか。たくさんの騎馬隊が走っているシーンを何度も撮っていました。100年前にタイムスリップですね。
わぁ~、ここまでみれたら本望です。
あの満州のさぶいところをあんな寒げな装束でがんばっていた兵隊さん達に、慰霊と鎮魂と感謝を捧げ、もちろん、この方面に来たら絶対に、立ち寄らねばならぬ施設「ホロノベ」に行きました。あいにく、定休日ということで、地下に高レベル放射能を埋葬する研究施設は観ることができませんでした。
この豊富町の農家でつくっているチーズ工房レティエに立ち寄り、しばし、なつかしい方とホロノベの話をしました。
コマーシャルで地下処分するようなことを言っているけれど、ホロノベにはつくらないといいつつも、同じような研究施設を二つつくっている。
フランスでは、研究施設だからと言い続け、そこに結局高レベル廃棄物を貯蔵することになったやり口。
深く掘ったら温泉が出てしまう砂砂の土地。
政権が変わっても、仕訳事業で問題になっても、天の声が降りてきて続行決定。
記者会見でツラを並べていた科学者たち。科学の予算を削るとは!何事的あんたたちが責任もって高レベル廃棄物を運んできなさい。運べるものなら。
そばに人が近寄ったら死ぬキャニスターを、ロボットが運ぶという。
ふ~ん。わたしら、チェルノブイリのすぐ近くで、好感度の高級デジカメが放射能でいかれてしまったんですけど、そのまだみぬロボットちゃんは放射能でいかれはせぬか、大丈夫か。こぼしたら誰がふくのか。耳かきいっぱいで5万人が死ぬという猛毒を。
などなど、日露友好祈ったそのあついもりあがりで、つばを飛ばしてホロノベを久しぶりに、やりだまにあげ。エネルギーはどんどんもりあがってしまいました。
北海道なんて外地だから、そこに捨てるのは本当に内地の人はあまり問題と思わないかもしれない。
沖縄の基地問題と一緒。
よくもまぁ、二酸化炭素ださないからとか、平気で言えますよね。
稚内の港に続くやたら立派なその地域に不似合いな道路が整備されているのも、着々と準備が進められていますね。
2年前に、葉で新聞記者から聞いた言葉。「ホロノベやばいよ」
真実でした。
坂の上の雲ならぬ温泉の地の下にもっとも危険なものを埋める狂気を、どうして誰もとめられないのか。
本当に不思議なことです。
帰り道、JRで旭川までの道中の景色の美しいこと。誰もいない、家もない。歳なんですよねぇ。
この世に天国と地獄を見ることがたびたびありますが、この地がけがれることのないよう心から祈りました。
よいお年を!

誰の基地?

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基地!いえいえ生活の基盤が北見にうつり、すっかり生活状況も変わってしまい、葉のときより忙しいという恐ろしい毎日を送っています。
みんな元気かなぁ?あっというまに閉店してから1年がたち、じっくり、味わってもいないなんて。
先日、柿沼和尚からボロボロにやぶれて、最後は引退した長いのれんを、タペストリーに作り替えたものを送っていただきました。
どきんどきんしますよね。こののれんをあげおろしするときに、いろんな気持ちがこもっていましたから。ボロボロにさけた部分は丁寧につくろってありました。指でなでてみる。
あれは、私の心の基地だったんだすねぇ。いろんな若い子に無理難題言ってご迷惑をかけました。
お客さんにも、ずいぶん心ないことをいったかもしれません。
世間では、沖縄の基地についてずいぶんあれこれさわいでいますが、根本的に間違っているのは誰の基地やねん。と思います。
あの沖縄のすんばらしい熱帯植物園で、まさに生きながらこの世の天国かと思うほど、心がゆったり神経がやすまるすばらしい心地。
とそこに耳をつんざくスクランブルのひどい音。5分おき。そう、天国と地獄が交互にやってくるわけです。
何ということでしょう!
でも、あれはアメリカの基地でなければ、どないするっていうの。中国の基地になるよ。
Fが党首の党のいいなりになっていたら。県外・国外って、なんも考えないで言っている。そんなの、運動会はしりたくない運動音痴のガキらといっしょや。
考えてない。みつめていない。
あれは、日本の領土なら、日本人が命をかけて守るべき島。
沖縄の人も、苦労もわかるけど、日本地図のあの基地からどうかコンパスで、200km円を描いてみて下さい。
そう、あなたがニホンの大統領になったつもりで。
次は500km引いてみて下さい。
広島に原爆落とすときも、テニヤンか、どこかから飛んできてそこまで帰れなかった。沖縄におりたらしい。
そういうことですよ。アメリカがだから沖縄執着しますよね。
草食男子とかいって、本土の男はゆるんでられるし、沖縄はまだ、戦争のトラウマから逃れていない。
日本軍だけが悪役じゃないですよ。
沖縄ほしいよだれたらしている国がすぐそばにありますから。
基地のそばにすんでいるひと、年金も税金もはらわんでいいわ。こっちから毎月50万でも100万でもだすわぁが言えんかったら、解決できないです。
金で解決できなかったら、自衛隊行くか、どうするか。
誰も本当に、アメリカに護ってもらってありがとうさんもないし、他の国はせめてこないと思っているし。
旧ソ連が崩壊したとき、持ち運び型の小型核いっぱい売られたのはみんな知っているけれど。
得に北とかなんか名前つくところ。
誰も努力しなかったらいくらすぴりちゅある言うても、神様も護る気力も起こらない。自分だけ助かりたいと言うことでしょう?
誰?基地がなくなれば世界平和がくるとか思っているの?
そういうことを言っている人はスパイに洗脳されたアホだ。
次回、坂の上の雲の豊富ロケ潜入日記です。

ついの住みか1

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前回も途中まで書きかけて終わってしまった老後について。
こちら、北見に来て、ご老人とふれあうことが多いせいでしょうか。ついつい、自分の老後はどんなだ、と考えてしまいます。
ふれあうと言っても、別にどこかにボランティアに出かけているわけでもなく、普通に商店街の人たちの年齢が軽めにみつもって60才以上だからかもしれません。まして、バス停で見知らぬ人に話しかけられないことなどなく、「あんたはバスが来るピッタリにやってきた!」など賞賛型から、天気がどうしたなど、「私」がどういう人間だろうとまったくおかまいなしで。バスに至っては、うっかり席をゆずろうものなら、いったい誰にゆずろうとしているのか、問題になりそうなぐらいお年を召された人ばかり。割引パスのようなものをみんな見せて降りていきますから、バスの営業がなりたっているのかどうかもあやしいところです。痴呆や介護を必要としていて、老人ホームに入るのに10年待ち!と言われるそうです。そういう現実がすごくよくわかります。
そんなわけで、こんなふうなをみても、資本主義が崩壊していないと思っている都会の人たちは、かわいそうになるのです。つまり、60才までの人にはなんとかまあ、居場所のある社会だけれど、その先、何かトラブルがあれば、社会は見てくれません。
これは、自分のことしか考えていない官僚と国会議員たちを選んできた国民のせいでもあるのですが。
うさんくさい社会主義のロシアの方が老後がまだましなのは、いうまでもありません。
つまり、誰にもチャンスはないけれど、ギリギリの生存保証としての家だけは確保されている。今日、首になっても家を出て行かなくてもいい。国から支給されている強さがあります。中国はまた、別な意味で不完全な社会主義ですよね。北京オリンピックの時の追い出し攻勢をを見ていましたが、社会主義で住宅保証しなかったら何が残るのよという感じです。命の保障がない国で。
そんなわけで、田中角栄と共に、日本列島改造パワーで家を新しく建てた人たちが老後を迎え、そうした一軒家が大量に北見でも、寒々しく建っています。あとをつぐ子供達はもう出て行ってしまっていないし、夫婦二人には広いし、車いすも使えない。
しかも、家の寿命も20年~30年と短くて。住宅ローンのためにかけたパワー。
つれあいもなくなって、そんなふうになったら、どうやって最期を迎えるのか。寝たきりや痴呆になったらどうしよう。
そういう問題を解決しようというNPOの学習会に行ってきました。
わかりやすく説明すると、共同スペースのある老人アパートになるんでしょうか?
それで、みんな少しずつ助け合って、一日一回ぐらいはみんなでご飯食べる。
さまざまなビデオとか見てきました。そう、わかりやすく言えば、個室にちょっとした自炊機能とがついた老人下宿かなぁ。
昔、学生時代、下宿してみんなで大広間でごはん食べていたのを想い出しました。
ひとりぼっちの孤独や一人だけでいることで、どんどん刺激がなくなって退化してしまうようりは、そうやって刺激し合い、まだまだ残された能力を使って助け合っていこうという趣旨のようです。
うん、こういうことは、意外と簡単にできるだろうし、高齢化社会が訪れるわけですからやはり、集団生活が得意な方々にはいいかもしれませんね。
私?う~ん、みんなが団らんでなごんでいるときに、わざと、壊すようなことを言っちゃいそうで怖いですよぉ。
今日も一人、そんなご老人が見えていましたっけ。
ああ、こんな老人保護政策がひどいのも自分のことしか考えていない官僚と議員さんの悪口をかんかんになって言っている。って、今は、この新しい試みについての意見を聞いているんでしょう?という空気が充満していても、おお、主催者はあたたかく受け手止めている。このおじいさん、私と同じ意見じゃん。でも、この人といっしょにご飯たべたくないよ~。
私?う~ん、風がふきぬけるような山小屋のベランダで、グラグラ揺れる椅子の上でパタっと死ねたら最高ですね。さんざん、勉強してきた割りには具体性のない話をしていますね。

仕訳け作業

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毎日、連続して報道される仕訳作業。あんなとろいロレツもよくわからない高級官僚の方々がつくっておられた法律的にだけは違反していない予算をバッサバッサとぶったぎる景色をかっこいいと思って眺める気分にはどうしてもなれません。
民主党にサヨク勢力が入り込んでいるせいもあるでしょうけれど、お金の問題で、あんなふうにバサバサっとやっていっていいのか。ロシア革命もあんな感じで、問答無用いいわけいらず、とどんどんお金持ちの貴族を絞首刑にして、お金をとりあげていったことをちょいと想い出しながら見ていました。
そして、悪代官たちの末期もまだまだです。なぜならば、彼らは何をしていたかというと私腹を肥やしていたわけですから(自分たちの給料をとっても高く設定しては天孫降臨していたわけですが)、でもね。確かにお金さえ持っていたら老後は安心ですよ。すごいリッチな老人ホームに入ったり、海外にでかけたり、投資したりして一生お金には困らない?
いや、官僚の仕事は、まず、国民の老後を心配すべきだったのではないでしょうか?
老人だけでなく、傷害者や、さまざまな人たちが安心して老いていける社会を彼らのその良い頭でどうして考え出してくれなんだか。自分たちさえ幸せだったらよか…。最後まで上に居続けたかったか。生活レベルで。
仕訳人たちと、官僚達の目線は、どちらもお金があればなんとかなるさ幸せという観点から成り立っているだけ。え?そうじゃないの?
今、私の友人達の「親がボケたけど、老人ホームにもいれられない」と困っている声を聞くようになりました。あれだけの大勢の団塊の世代がつくりあげた経済的反映の結果がこれです。お金よりもまず、どんな国づくり、どんなふうに歳をとったら幸せなのかという大きなものがないから、他人のつくった料理がまずいまずいと言ってシチューをカレーライスに変えているだけですよね。仕訳なんて。贅沢だからお肉抜いときましょうって感じ。
ではどんな老後が幸せなの?
まず、心が満たされること。それを第一に考えていくしかない。その心が満たされるためには、最低限の生活環境の整備は必要になってきてしまうのだけれど。そのために、官僚に天孫降臨してもらう必要はまったくないわけで。
ようやく娘の成人式の写真が届き(また、このネタです)、私が老人になるまでに荷物を減らすとしても、葉での写真や、こうした写真類はやはり持って行って日がな一日ながめていたいですよね。それから、やっぱり土いじりはちょこっとでもいいからしたい。
いろんな読めなかっただろう小説も読んでみたいし…。

交通事故

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今年の夏祭りでしょうか?秋?北見の神社のお祭りに無性に「交通事故のお守り」を買いに行きたくなったことも、偶然ではなかったかもしれません。
通勤途中、道路ではないところから一時停止もなく突然とびだしてきた車。もちろん、うちの車と接触しました。
助手席にすわっていて、「あの人見てない!」わ~ぶつかると思ったときはもうぶつかっていたのです。
ゆらゆらと揺れるお守りに感謝をしつつ、私はねぇ、武闘派の本性がこういうときに出るんですよね。
まずもって、運転していた女性が謝っても許しかねる、と腹の中で思っているわけです。
あやまりかたが気に入らないとか。急いでいるからとどこかに電話しているのも。まず、私の安否を尋ねたらどうよ!という勢いがあれば、安否問題ないですよね。
ここからが本題なのですが、実は車に例のあれがついていたんです。そうビデオカメラ。
ブレーキを踏んでからカメラが回る(それって無意味じゃん)と、あまり期待されていなかったカメラですが、なんと、ぶつかる10秒前からの映像が残されていました。わずか10秒で十分なんですね。10秒でどんだけ車が進むのかよくわかりました。
その映像を見ていたらまるで、カーチェイスの映画のようです。
そこにはっきり、一時停止無しで道路をななめにつっきって、あり得ないところからでようとしている車がうつっていました。
運転していた女性曰く「一時停止した!」という証言はまったくその映像によって打ち消され、ぶつかる寸前右を走る車もあってハンドルがきれない状態もよく証明されました。(嘘をついているのではなく、そのように思っているのでしょう。そんなわけで、車にはビデオカメラをつけたら、ある程度のトラブルは回避されますね)
ぶつかってだいたい2週間くらいして、ちょっとむち打ちの症状も出てきましたが、この病気はなれているので、なんとかやりすごしています。首に出る人も多いですが、私は背中に出てきました。ちくちくと。
結婚する前に、二度ほど車に接触して、ひどいむちうちになっているせいもあって、なかなか車の免許に手が出ないのもあります。人をけがさせるのが怖い。
そのときは、針に通っても疲れてくると症状がひどくなっていましたが、のちに出産して、すっかり良くなりました。出産するとき、骨格が全部動くそうで、私はそのせいなのかなと思いましたが、おかげで子供を抱いたりおぶったりのときに、症状はでてきませんでした。(同時に娘のアレルギーで菜食になったせいもあるかもしれませんが)
今はちくちく程度ですから、まずもって、安静が大事です。(こりは私の経験です)
前にも、タクシーに乗っていて追突されたことがあるのですが、そのときも安静第一。身体を静かにしていることを優先しています。そうなんです。今は事故を起こした人間のことを考えず。
もちろん、スピリチュアルに考えると、そうなんです。大難が小難で済んだ。護られたとか、そんなの頭で理解できているんですけど。そんな、いい子ちゃんにはなれないんですね。まだまだ。
あとちょっとずれていたら、車いすになっていた可能性もあるでしょう?やっぱり怖かったし。今はなんでも、保険屋さんとか間にはいっちゃって、つまんないですよね。トラブルを避けるための知恵なんだけど、やっぱり、なんか相手にいらぬひとこと言いたい、自分をさめてみているわけです。
しょうもないなぁ。

着物

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娘の成人式のときに、私も着物を着ました。写真のために。
本当はスーツのつもりだったのですが、なんとまあ赤ちゃん抱えたお母さんが着物きていたを見ました。お百日?、「あ」普通、こういうとき、母親も着物か…と考え直しました。
知人から借りて、着せていただいてさあ記念撮影というときに、私の妹曰く「旅館の仲居さんかと思った」といらぬ一言。
もちろん、脇役ですから柄も入らぬ無地で。うぬ~言い得て妙。自分でも苦笑しました。
しかし、着物というのは本当にマルチですよね。
多少、体型が違っても借りて着れるあたりが、和のもののすごさだとは前から聞いていましたし思ってもいましたが。草履も多少はみでようが足の方が小さかろうか問題ない。
洋服なら前日に「明日貸して」と頼んで、ぱっちりその人と同じサイズで着れるということはあまりないですよね。
以前、表彰式にでなければいけない、レセプションもあるというときに、少々派手めなスーツを借りようとしましたが、肩や袖の長さがいかにも借り物をかもしだしてくれて。
自分で着物が着れる人やお茶会やらお花やら着る機会がある人なら、いいかもしれませんが、やはり買うまでは…。お店でチラリと着ていた(いんちきな着方でしたが)のがいい思い出ですね。
だいたい、しまうタンスがないし。
先日、「織田信長が上杉謙信に送ったマント(レブリカ)の展示」というのが北見であって、ぶっとびました。
何それ、しかもその上杉神社から借りてきた重要文化財のマントが、どこかの展示場とかじゃなく、普通の、しなびた商店街の呉服屋の軒先にマネキンに着せて展示してあったのです。
盗難とか大丈夫なのか、こんな店先の戸だって、木のガラス戸で、昔ながらの、ねじで鍵しているような感じだし、シャッターさえないんですけど。いいんですか。こんなんで。
「つむぎ展やっているから、つむぎつながりで借りたんだ~」とあまり、ご苦労もされていない様子。北見は犯罪が少ないとこらしいと言ってもねぇ。
もちろん、バチバチと携帯で写真撮らせていただきました。
想像以上に、小さく、身長155センチ以下を想定。着物や甲冑の上に羽織るように考えられたのでしょうか。
織田信長の好みらしい模様のスケスケ感のある布がマントの表地に縫われており、当時は相当ハイカラだったはず。
それが当時の着物にどのようにマッチしたのかは想像もつきませんでしたけれど。
大正時代の着物も柄などもはっとさせるものも多く、私たちのご先祖さんたちは自分たちの伝統文化を楽しんでいたようですね。
旅館の仲居と言われようが、1年に一度は着る機会があっても、いいかもしれません。