前回も途中まで書きかけて終わってしまった老後について。
こちら、北見に来て、ご老人とふれあうことが多いせいでしょうか。ついつい、自分の老後はどんなだ、と考えてしまいます。
ふれあうと言っても、別にどこかにボランティアに出かけているわけでもなく、普通に商店街の人たちの年齢が軽めにみつもって60才以上だからかもしれません。まして、バス停で見知らぬ人に話しかけられないことなどなく、「あんたはバスが来るピッタリにやってきた!」など賞賛型から、天気がどうしたなど、「私」がどういう人間だろうとまったくおかまいなしで。バスに至っては、うっかり席をゆずろうものなら、いったい誰にゆずろうとしているのか、問題になりそうなぐらいお年を召された人ばかり。割引パスのようなものをみんな見せて降りていきますから、バスの営業がなりたっているのかどうかもあやしいところです。痴呆や介護を必要としていて、老人ホームに入るのに10年待ち!と言われるそうです。そういう現実がすごくよくわかります。
そんなわけで、こんなふうなをみても、資本主義が崩壊していないと思っている都会の人たちは、かわいそうになるのです。つまり、60才までの人にはなんとかまあ、居場所のある社会だけれど、その先、何かトラブルがあれば、社会は見てくれません。
これは、自分のことしか考えていない官僚と国会議員たちを選んできた国民のせいでもあるのですが。
うさんくさい社会主義のロシアの方が老後がまだましなのは、いうまでもありません。
つまり、誰にもチャンスはないけれど、ギリギリの生存保証としての家だけは確保されている。今日、首になっても家を出て行かなくてもいい。国から支給されている強さがあります。中国はまた、別な意味で不完全な社会主義ですよね。北京オリンピックの時の追い出し攻勢をを見ていましたが、社会主義で住宅保証しなかったら何が残るのよという感じです。命の保障がない国で。
そんなわけで、田中角栄と共に、日本列島改造パワーで家を新しく建てた人たちが老後を迎え、そうした一軒家が大量に北見でも、寒々しく建っています。あとをつぐ子供達はもう出て行ってしまっていないし、夫婦二人には広いし、車いすも使えない。
しかも、家の寿命も20年~30年と短くて。住宅ローンのためにかけたパワー。
つれあいもなくなって、そんなふうになったら、どうやって最期を迎えるのか。寝たきりや痴呆になったらどうしよう。
そういう問題を解決しようというNPOの学習会に行ってきました。
わかりやすく説明すると、共同スペースのある老人アパートになるんでしょうか?
それで、みんな少しずつ助け合って、一日一回ぐらいはみんなでご飯食べる。
さまざまなビデオとか見てきました。そう、わかりやすく言えば、個室にちょっとした自炊機能とがついた老人下宿かなぁ。
昔、学生時代、下宿してみんなで大広間でごはん食べていたのを想い出しました。
ひとりぼっちの孤独や一人だけでいることで、どんどん刺激がなくなって退化してしまうようりは、そうやって刺激し合い、まだまだ残された能力を使って助け合っていこうという趣旨のようです。
うん、こういうことは、意外と簡単にできるだろうし、高齢化社会が訪れるわけですからやはり、集団生活が得意な方々にはいいかもしれませんね。
私?う~ん、みんなが団らんでなごんでいるときに、わざと、壊すようなことを言っちゃいそうで怖いですよぉ。
今日も一人、そんなご老人が見えていましたっけ。
ああ、こんな老人保護政策がひどいのも自分のことしか考えていない官僚と議員さんの悪口をかんかんになって言っている。って、今は、この新しい試みについての意見を聞いているんでしょう?という空気が充満していても、おお、主催者はあたたかく受け手止めている。このおじいさん、私と同じ意見じゃん。でも、この人といっしょにご飯たべたくないよ~。
私?う~ん、風がふきぬけるような山小屋のベランダで、グラグラ揺れる椅子の上でパタっと死ねたら最高ですね。さんざん、勉強してきた割りには具体性のない話をしていますね。
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