職場環境

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Byfumi

こちらに来て、パソコンばかりで目が痛いとブーブー文句ばかり。実際に視力も下がって困っていましたが、疲れたときは、育成光線の出るアイマスクというのを頭の後ろからあてる(視神経にはそのほうがいいとアドバイスされ)というをやってみると確かに、疲れがとれるのが早いと思いました。つまり、アイマスクを前側ではなく後ろ側にするわけです。これは助かっています。
それにしても、こんなに目が疲れるとは…。葉にいたときでも、いろんな作業で2〜3日ぶっとおしで、パソコンしたこともあったのにこんなではなかったなぁ。と、ふと先日、机を立ち上がったときに、こうこうとついている蛍光灯に始めて気がつきました。
葉では、蛍光灯を和紙で覆い、そのキツイ光をやわらげていましたので、そのまずい光のシャワーもあびることがなかったんだ。と気づいた瞬間、これではダメだ。
とうとう、商店街で、サンダルにも見える下駄を買ってきて、オフィスの中で下駄履きに変えました。そして、外に出るときも二枚刃の下駄が売っていましたのでそれを購入し、銀行に行くときのお使いなどに使用するようにしました。田舎では大層、めだつこになりますが、自分が快適だった生活習慣を、少しでも取り戻したい。
そうだよ、これがないから調子もでない。
なんで、目の疲れに下駄なの?そうです、下駄をはくと前頭葉の血流がすごくよくなるのです。以前にもウクライナで放射能が髪の毛に入り込んで頭がクラクラしたときも、下駄を履いているうちに次第によくなりました。これだ!
北見の商店街のばあさまたちにどう思われようと、わたししゃ、もう自分の健康のために、かっこわるくても昭和初期のようにオフィスの制服と下駄で行きますよ。夏場くらいは。
でもやっぱり下駄にあうのは着物やゆかた、そして作務衣ですよね。あれだけはまだ袖を通せないなぁ。いっぱい思い出がつまっていますし。
先日、典座教訓(てんぞきょうくん。角川学芸出版・藤井宗哲)をまり先生からおくっていただきました。そこには、鎌倉時代から面々とうけつがれてきた日本人の「いただきます」の思想の原点が、ビシバシ。
「いただきます」の言葉は、習慣という以上に、「いただく」という思いが詰まっている日本独自の言葉。ロシアの子にはちんぷんかんぶんでそんな言葉はロシアにはナイと言われてびっくり。日本だけなんですよね。
「何をいただく?」「いのちといえば簡単だが、その命をあらわすのに、ずいぶんと行動して手間をかけて、その三文字を食卓にあらわすわけで、それがやっぱり行間から伝わってきます。
そこには道元からの歴史をうけついで、そしてまたそれを次代の人たちに伝えようとしているエネルギーがいっぱいです。
本をめくったときに、頭の中にお寺の中でうごめくお坊さん達が、「今日はだいこんばっかり集まっているから、どうしよう」と思案しているようなそんな世界。ちょっとうすぐらいお寺の台所で。
そんな食とむきあっていた世界のはしっこに自分もまぜていただいていたんだ。もうすごい遠い話に思えるのですが…。
永平寺への観光客になりきって、精進なんぞついぞこのかた知らん顔して、宿泊させてもらって、そんでもって柿沼和尚に教えていただいた精進の食べ方で食べたら、お坊さんびっくりするかしら。
料理は大量につくらんとおもしろくないというお話でした。

手作りの家

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私が子どものころの家は、みんなどこの家も、すきまだらけで寒いものという感じでしたがこの頃は、高気密のホテルのような家がいっぱいになってきていますよね。
職場に新しいメンバーが増えたのをいいことに、抜け出してしばらく放浪の旅をしていました。着た切り雀で、ウロウロと一人で行きたいように…。行く先々でご馳走になり、外食もほとんどせんですんだ不思議な旅でした。
今回の旅でいちばん感じ入ったのは、手作りの家、二軒。かえってきてからも圧倒されています。人間ってやっぱりすごいとしかいいようがない。だいたい、私たちの考えるマイホームっつうのは、ローンのくめる職場に働いている人が、二十年か3十年かけて支払い、支払い終わったときは家にはもう子供達は居なくて、老夫婦には大きく使い勝手が悪くなってしまいあちこちリフォームが必要な…。
その家のために、働き続けなければいけなくて…。マイホームがほしいというジャパニーズドリーム。その家があって、みんなが幸せになれればまだいいですが。
さて、一つの手作りの家は、人の背丈ほどアル草のトンネルを通って切り立った海岸の崖のふちにありました。まあ基礎から全部自分でやったというのですが、波の音を聞きながら眠る寝室。勝手口を出て4〜5メートル歩けば小川があり、その途中には五右衛門ぶろと、トイレがあり。そして、ミニ菜園もある。
キッチンも、手作りですし、隣近所の老人達からもらってきた昔の品のよい茶箪笥に食器が整理されておいていて、夜は訪ねたメンバーでろうそくの明かりで楽しく食事をしました。車のバッテリーを充電しておいて持ってきて、網を浮かべるためのガラス浮きに電球があるので、それも必要であれば天井からのあかりとして使えます。子供達がドキドキしそうな隠れ家的ロフトもあり…。私がその家でいちばん感心したのは、たてつけがしっかりできている。戸の開け閉め、窓ガラスのあけしめがちゃんとしていること。こういうところが気もちいい。
これ全部人間の力だけで建てたすごさよ。重機も何もいらない。ざっとお金に計算したら1千万はかかるのではないでしょうか。こういうレトロな家をつくろうとしたら。お金に換算する私もまだまだですが。彼自作の漬け物で、みんなが持ち寄ったおにぎりなどで楽しい集いになりました。
すばらしい限りです。何がすばらしいって、この家に、インドの神の化身の写真が飾られていたことです。原発からほど近いこの海岸で、息を吸い込めば薄くまきちらしている放射能を吸い込んでしまいそうなその近さで、神は守ってくださっていたと一人感じ入りました。プルサーマルも止まるわけです。かたじけなさに涙こぼるる…という神の恩寵に感謝する唄があるそうですが、まさしく、私が取り越し苦労するまでもなく、神はこの原発のすぐそばの縄文人の夢枕にたってアシュラムまでよびつけておいででした。
マイホームを手に入れ、就職もせずに、自分の実力だけで生きている。どうですかぁ、葉のステキな独身女性のお客さん達。こういう男性と一緒になれば、大地震が来ても、どんな社会になっても、大丈夫ですよ。
さて、もう一件の家も、別の方が、コツコツと手作りで建てた家です。もちろん廃材や廃屋などからいろんなパーツを持ってきて、水道ひいてなどなど、こちらも、苦労のあとが味になって、その家にいるだけで、癒される。キラキラピカピカした家よりうんと家に味があるんですよね。(劇的ビフォーアフターが大好きな人間としては矛盾した発言ですがビフォーの家はあれはないほどの不便さですからねぇ)
朝日が差し込むところに置かれたベッドで麻のシーツ。目が覚めればながめのいい景色があって、恐らく冬は大活躍するだろうまきストーブが、煙突はずされてお休み中でした。札幌に住んでいたときはこういう自然的なライフスタイルはたまにだったらいいかしら…と思っていたけれど、田舎に引っ込んでみれば、全然、抵抗がなくなっています。
どの家も冬にそなえて薪をつんでいました。そのニオイが、脳みその奧を刺激してくるんですよね。
縄文時代はやはりこうした器用人間たちが、多くの村人を守ってきたと思います。そういう創意工夫することの楽しく、それは大変だったけれど、お金のために働かない。でも働き者!のいる二軒の家は大きなパワーを与えてくれました。お金がなかったらどうなるの?必要なものは全部神がいろんな人の手を通して不思議と、回っていくように采配されているようでした。
男達よ、今はキレイビジュアルとかなんか化粧したりしていますけれど、本当にそういうのをスキでもなくただ、はやりたいだけで追従していたら、いつのまにか自分がなくなっちゃいますから気をつけて。あのぉ、三十になったらどおすんの?気持ち悪いよね?女だって顔がかわいいとかファッションがなんて言ってかわいがられるの二十代までじゃないですか。そのあと、中身がないなと気付き始めて、失われた時間を取り戻すのが大変です。自分探しとかいったって、探す自分がないんですから。探してもしょうがない。まず、休日は大工仕事などをコツコツ身につける、最低限の料理など、世界が滅んだ跡でも、みんなを助けていける技を身につけておくれ!おばさんもこれからはサバイバル技術に走りますから!ってなんの決意表明か。
すべて、神の意に動かされているというお話でしたのに。
しばらくぶりに家に帰ってきたら、水耕栽培のミニトマトちゃんが最高に赤く熟しており、初収穫。さすがのハイポニカ技術。そのお味は、今年食べたミニトマトで一番でした。さんざんナチュラルライフに感動してきて人工の栽培に迎えられてちょっと、複雑でしたが…。

ワイハから

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あまりにうらやましくて、素直にハワイとは書けませなんだ。葉を支援してくださった大切な方が、今は人生の休暇でハワイを楽しんでいます。お手紙が届きました。きれいな海、ここちよく揺れるやしのき。波の音、自然な食べ物。身体にいい数々のワークショップ三昧。時間に追われず、ぼうっとしていられる。
本来そのように、神様は地球をつくられたのに、どこかのおかしな人が、ここは自分のもんだから…というふうに考えついてしまったことから、人間の不幸が始まった。西洋風にいえば、知恵の実を食べたからということなんでしょうね。女!が。
さて、この頃の私のブログは、ワイハからはちょっとえぐいらしい。ですよね。
怨念と執念がふきでていた2〜3ヶ月。原発どころじゃない暴走ぶりです。確かにこのエネルギー状態で、札幌のような都会にいたらつぶれてしまうかもしれません。
でも、今は、北見という、自然一杯の田舎都市(笑)に住んでいるので、自然も多く、ずいぶん彼らにクールダウンされているのもまた事実。そして、自宅のハイポニカちゃんと。実をつけはじめました。
1日、動かせば億単位のお金が動くようなしくみをつくって、日本国民の税金と電気代をほしいままにしてきた人たちが、プルサーマルの延期を発表せざるをえなかった。あまり詳しい情報がながれておらず、よけい気味が悪いし、流れていたとしても大本営発表ですが。
ただ、彼らの「創世神話」が崩壊し始め、隠していたことが露見しそうになっているのかと思われます。
たとえば、苦し紛れのアイデア「ガラス個化体」高レベル核廃棄物をガラスのような物質にまぜて固めて地中深くうめるというあれですが、実現したらそばにたっているだけで即死のようなもの、しかも、ガラスですよ。熱のあるものが安定するわけない。
それでも、一流とされる科学者とかエライ学者さんがそういえば、できるのかも…といった幻想をこの50年間、言い続けてきた。もう、無理ですよね。それでも、後ろから、お金の亡者の企業から、できるといえとつつかれて続け、50年ですからまあ、3世代の科学者や企業のスタッフが飯をたべてこれたかもしれません。
地震のないロシアやヨーロッパと違って、島国でおまけに地震帯なわけです。
このような支離滅裂な神話が、原発にはたくさんあるわけですが、プルサーマルが稼働しないと言うことは、原子力帝国の崩壊の序曲です。プルサーマルができなければ、六ヶ所村は必要ない。六ヶ所村が動かなければもうからないし。そもそも、あふれた核廃棄物の行き場もない。
この負の財産が、子孫の生き様を圧迫する。その一点をもっても、今、絶対妥協をできない。(今生きている人たちは、相当、楽していますから恩恵を受けていると思います)
そもそも、放射能がリサイクルできるわけがない。そこまで現代科学が万能なわけないですよ。だって、チェルノブイリで被害にあっている人たちを救えないんですから。
温暖化の中でやはり原発っていったって、海温より高い温度の排水しているわけで、海温上昇の原因をつくるものですから。
ただ、この神話が恐ろしいのは、ブレーキシステムが存在しないということです。やりつづける前提ですべて法整備もされている。
止めるのは世論しかなく、それは結局、事故のみと言われてきました。
皮肉にも、私は、チェルノブイリ汚染地帯ののどかな農村で、ずいぶんハワイの休暇のような時間をもらいました。たまに、放射能カウンターが鳴っていても、人間のやすらぎというのはそういうものだけでもない。あったかい人の気持ちとか。大自然の中の小さな生命体として、自然に埋もれてしまうような日本では絶対に得られなかった至福。
そんな時間を、本当は、この自然豊かな日本で持てるのなら、最高!
いや、持てるはず。時間の猶予が起きました。
隠されてきたことが、出る。相手が自滅崩壊する。これ、いいことです。争いのエネルギーもおきないし。大歓迎。
だから、見えないところで動いてくださっている神々に感謝。

祝杯!プルサーマル延期!核の癒し…。

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ありえないことが起こるとき、たとえば、東西ドイツの統一のとき、のように。神の手が動いたとき。
東ドイツの官僚が、国会で決議させる法案にまぎれこませた移動の自由(のような感じだったでしょうか)の法案がろくろく審議もされない他の法案と一緒に通ってしまい、発表されました。え?ウソォ、本当?とおそるおそる壁に集まってきても、誰も撃たれず、ソ連軍も動かない。そんでもって、東西の民衆が壁の上にのぼって、ぶちこわし始めたというとんでもな話でしたが、恐らく仕掛け人はもっといるんでしょうけれど。
そんな不思議なできごとが、起こりました。そう、お昼に、日経を新聞をチラリ(普段は目さえ通さないのに)。北電、プルサーマル延期!
ひゃっほう!
柏崎原発のことで、くさっていた私の目になんてうれしい吉報でしょう。北海道新聞には、夕刊(6月5日)にこっそり。いや、こんなうれしい話を見逃していたなんてなんてバカバカバカ。
でも、来月に岩内の神社でお祭りがあるからお参りかたがた行ってこようかと調べていた矢先…。これは、本当に神仕組みだと、感謝の意を捧げ。延期という時間稼ぎができたこと。うれしい限りです。
なぜ、準備不足なのか…。いまいち解せません。何か重大なことがあったんでしょうね。準備不足でもやる!というバカを押さえてくれた神が内部にいてくれた。青森の副知事は、プンプンとしているらしいです。再処理したものを県外に持っていくって話だったじゃないっすかっ。北海道が延期でも、九州のほうでは、準備が進んでいるらしいです。九州、何回も水没しかけているのに…。
とりあえず、泊原発での延期は最高にうれしい!本当に岩内町や泊村でがんばっている方がたはもっと喜んでいらっしゃることでしょう。
そして、もう一つ、原爆症の人たちの訴えが認められましたね。さまざまな公害訴訟を牛耳ってきたおぞましい731部隊の亡霊たちが高齢化し、厚生省や医学界の第一線からじょじょに引退していってくれていることとは無関係ではないと思います。
久しぶりにありがたい気持ちで眠れ…。
でも、本当の意味での修業は良いときも悪いときも一喜一憂せず、感謝の気持ちでいい気分でいなくちゃいけないんですが、そんな境地はまだまだ遠い世界のことですなぁ。

ハイポニカ

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水と酸素を循環させるだけの水耕栽培。ほんの数適、オーガニックの肥料とEMXを入れているだけで、半信半疑だったミニトマトの苗が今や1メートル近くになってきました。
一緒に種から芽を出させた土バージョンの苗のほうは、20㎝といったところでしょうか。
今までさまざまな農場を見る機会を与えられてきましたが、いや、自分農場のミニトマトがいちばんかわゆい。などど親ばかなことを言っている場合ではありません。
どこぞの水耕栽培では、EM1号と水だけで農園経営をやっていらっしゃる方もいました。でも、やはりそれはあたたかい本州のハウスの話で。でも、そういうハウスって波動がすごいんですよね。
いやな感じがしないというか。
そんなわけで、私のハイポニカは、土台がトマトの形をしているこどもだましなデザインですが、なんとか窓際で毎日ぐんぐん成長してて、あまりに他と違って、ちょっと驚かされています。
これをやれば、つまり、日の光が入るような部屋であれば、冬の北海道の室内でも、青物やちょっとした野菜はつくれる(大根とかそういうおおものは無理ですが)。大豆とかいけるんではないか。もちろん、大地の風や空気をびんびんにあびたものとは違うでしょうけれど。
たとえば、環境破壊やなんかあっても、水だけ濾過することができれば、最低限の食料は室内で確保できますよね。水耕栽培ですよ!水耕栽培!そう、稲です。稲と大豆ができたら、食糧自給率の話は解決ですよね。だいたい肉を減らせば食糧自給率はあがるわけですし。トマトが終わったらチャレンジしてみようと思います。
よく、悪い人たちが、室内で大麻を育てている写真なんかたまにニュースでみますが、育成光線でるライトまでつけてやっていますよね。
ちょっと値をはるライトですが、そういう植物の生長に必要な光は蛍光灯では役不足なわけで。彼らでさえそこまでやっているのなら、こっちは負けられまい(って一体何に?)
習字の筆を持ち出して、受粉をさせている真っ最中です。花がどんどんさいて、結実してくれるのが楽しみです。
人間の体内も70%は水分というのですから、うまく体内に酸素が運ばれていたら、30%しか栄養が必要じゃないということですよね。
お隣の方は家庭菜園の広い土地を持っているので、いろんな野菜たちの苗が顔を出しているのですが、そちらも楽しそう。でも、解せないのは毎晩、大声で、その菜園でカエルがないていることです。水場はどこ?
住宅街ですのに。うるさいぐらいです。カエルって今、ツボカビかなんかで絶滅しかかっているんじゃなかったでしたっけ。
そう、水耕栽培の室内には、さすがにそういうお客さんはいらっしゃいませんねぇ。命の賛歌はお隣からいただいて。

野菜づくり

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札幌を離れて思うのは、札幌の住宅の庭の花のきれいだったことです。いつも、自転車ででかけては、いろんな道を通って、さまざまな家の競わんばかりの個性ある花や庭木を見ては楽しんでいました。北見にきて残念なのは、あまりそういうきれいな草花に囲まれている家がない…。
ま、ネコのおかげで、すでに郊外と思われる北見の郊外に住むことになり、スペースがちょこっとあるので、お花を植えたり、プランターで野菜をつくってみようと思っています。(あわてて借りた家なので落ちついたら引っ越しするため本格的に土を入れたりできないのです。残念)
中の島にお店があったときは、近くに畑を借りて、大豆やにんじん、カボチャなどあまり手間のかからないものをつくったときもありました。自分でつくったものは本当においしいし、なんだか嬉しい。作業も苦にならないものです。生ゴミにEMボカシを入れて、それを堆肥にして土作りをしましたが、隣の畑を借りていた人も、同じことをしていたので、次の年は、もうふとんのようにフカフカの畑になりました。
さて、ようやくあたたかくなって、そんな気分になってきたわけですが、イヒヒヒ、その前に!実はですねぇ。ハイポニカという小さい水耕栽培のキットを手に入れて、家の中でミニトマトが高さ15㎝くらいまで、大きくなってきています。葉のときから、これをショーウインドに置いて、お店でミニトマトをつくりたかったのですが、日照時間の関係であきらめました。今はガンガン日の光が入るので、窓際において、ミニトマトの実をつけるのを楽しみにしています。
野望としては、今の時期よりも冬期にもこの装置でトマトやら野菜がつくれたら…と、思っています。ハイポニカについているのは化学肥料だったので、有機肥料をつけてもらって。
大学時代にチェルノブイリ事故が起こり、泊原発稼働の問題が起こって、大学時代は、学校でもバイト先でも口を開けば、原発の話ばかりしていて、ずいぶんうざい存在だったと思います。
道議会で反対運動が負けたときに、長期戦になってしまった。そのときにやはり、人間を支えるのは愛情ですよね。それは生活のすべてを対象にできると思います。全力を注ぐ。いつ、死んでも後悔しない(後悔しないように片付けはできてないけれど)。そんな思いで、もう20年がたちました。やはり今でも心を落ち着けるのは、自分にとってはこうした野菜でも子供達でも動物でも命に囲まれていること、なのかもしれません。(本当は馬を飼いたいという野望もあるけれど…これは大変そう)。
長岡の玄米は、発酵させて、いのちをつくっています。新井先生も日本の人々みんながこの酵素玄米食べて健康になってくれる日を願っているとおっしゃっていました。道のりは千里より遠いけど、一歩から、と気をとりなおし。(ハイポニカは、札幌の葉の近くにあった14条のTREE PEOPLEさんで)

身分証明

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2月の末からちょっと精神的に落ち込んでいたせいで、3月の中旬、パスポートが切れてしまったことに気がつきませんでした。
車の運転免許をもっていない私は、当然免許証がなく、自分の身分を証明するのが、健康保険証ぐらい。パスポートが身分証明書の代わりに成ることも多かったのです。
緊急的にチェルノブイリでなにかあったとか、やっぱりパスポートがないとまずいし、重い腰をあげて、パスポートの取得にのりかかりました。
ところが、免許証を持っていない人は、身分証明書を二種類必要とのこと。ふんふん。では、保険証と、印鑑登録証でもいいか。
引っ越してから印鑑登録してなかったと、印鑑登録しにいったらなんと!ここでも身分証明を二つなければ、登録できないと。
ちょっと、待って。どっちにも、道はないじゃないですか。北見のお年寄り達はみんなどうしてんだろう。免許みんな持っているんだろうか。
結局どちらも、取得できない情けない状態です。
私の身分って何?私は私でちゃんとここにいるのに、身分証明書がなければ、「公的」には誰でもないのっぺらぼうだと気がついたら恐くなりました。
あとでわかったことですが(インターネットに書いていませんでしたが)期限の切れたばかりのパスポートでも良かったそうです。でも、恐るべし、北見では毎日、パスポートの申請ができないのです。週に二日、どこかからキャラバンが回ってきて申請する。このチャンスを逃したらできないと、悟ったわたしめは、怪しげな自分の顔写真をパウチしたあるものを持っていき(職場の身分証明書風)、ちょうど同じように期限の切れた家族と一緒にどさくさ作戦で申請を受理してもらいました。
パスポートが無事やってくれば、もう私は、ちゃんとした日本人としてのおすみつき。でもねぇ、そんな紙切れで安心が保証されるなんて。いごこちの悪さも解消しましたが、社会的には人間なんてはかない存在ですね。これで、印鑑証明がとれるわけです。って、もういらないし。
(ちなみに写真付き住基カードは偽造しやすいのでダメと某会社で言われましたがそれをとるためにも、二種の身分証明がいるんでしょうかねぇ)

土地柄

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住みなれたところから離れてみると、新しい土地の不思議なところがいっぱい。でも、そういうふうなことは、やはりその土地なりに歴史があるので、その土地の人にとっては不思議でもなんでもないようです。
北見市に来て、これはなんなんだ〜と思ったのは、ゴミ問題ですね。
全市的にレジ袋撤廃運動がゆきわたっていて、原発推進派のCO2撲滅作戦の徹底派に驚いていますが…。
ゴミの仕訳にもっと驚きました。細かいのは仕方がないとして。例えば同じサランラップでも、商品を包んでいたかどうかで、仕訳の方向性がかわるのです。今でも、理解できません。つまり、よくあるスーパーなどで、パックうりしていたときのサランラップは、資源ゴミとなり、家庭で使用したサランラップは、燃やすゴミというふうに、同じものが、まったく違う末路をたどるわけです。これは理解しがたい。
あと、これは行ってみたいと思ったイベント。
カニ汁、じゃがいものふかしばた−、道産そばの手打ち、などのメニューの他に惹かれたのが、マグロの解体ショー。これは本当に見てみたかった。マグロちゃんには可哀想だけれど、マグロの一本釣りの漁師をしていたという戦死した祖父のこともあって、どんだけでかいのか、それだけ大きな魚をどうやって処理していくのか、興味津々。一度は見てみたかったのですが…。何も食べなくてもそれを目の前で見られるなら行ってみたい。これだけでて、なんと参加費二千円。って、よくよくみるとそのイベントはテレビでよく出てくる自民党の国会議員のTさんの講演が付録であるわけで。よく考えてみると講演会に、この食のイベントがくっついているわけで。え〜こんな企画どうどうと新聞に広告はさんでやっていいわけぇ?ある意味どんなだか興味がありましたが、会社の慰労会で参加できず。
さて、先日、チラリとのぞいた札幌ですが、よくみると、札幌もずいぶんと空がきれいだったんだ。良い青だ…と。でも、空がビル群に隠れていて見えないだけなんだと気がつきました。こっちは、空が360℃みえるだけなんだ。札幌は高層マンションとビルはもういらないね。

ありえないこと

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先日、網走在住の版画家のかたと久しぶりに再会しました。20年前の泊原発の反対していた時からの知人です。どこの組織にも属さない市民の声など、もちろん組織に属していたからといってそんな声は、どこにも届かないのですが…。経済という声にあのときはみんなかき消されてしまって。1票は持っていても、投票しても想いが届かない疎外感。版画家の方は、これからは地方で暮らす暮らし方だとさっさと札幌をさって、網走に行ってしまったのでした。ねっからの芸術家というのは感性が独特ですから、なんとまあ、北限に生息しているうるしで新しい塗りの器にチャレンジしているとか。そんなふうに悠々自適の生活をしているひとをみると、なんとまあうらやましかったものですが。先日あまりに空の青が目にしみて、バスを乗り過ごしたという話をしたら、開口一番、「車の免許とるのやめたほうがいいよ。そういひとは事故起こすから」確かに。やっぱりねぇ。彼の直感はあなどれませんな〜。
泊原発でプルサーマルなど、またまた、やなことがはじまりそうでしたが、そんなネットワークから連絡です。3/23の6:30〜のSTVニュース、やつら(誰?)に邪魔されなかったら消されなかったら、ぜひ観てくださいね。オーナーになっている彼らが、番組をとばすことはしょっちゅうですから。もう、あきらめるしかないか…と思ったあたり、がんばっている人たちのことがニュースになると、もう少しがんばってみようかと、そんなことがずっと続いています。ありえないよ。100年間冷やし続けても覚めないプルトニウム燃料が残るだけ。そんな神経が本当に疲れちゃいますね。だけど、巨大な壁の前であきらめない人がいるということもありえない。小さな蟻のような存在の勝利を信じて。
私の携帯の料金が、3ヶ月ほど、知らない人が払ってくれていた事件もありました。
北見にきて、調子の悪かった携帯をとりかえたのですが、私はてっきりカードのほうに請求がきていると思っていたのです。でも、ん?この引き落とし口座、三井住友銀行、取手支店となっていて、なんかへん。あ、これ、カード会社が立て替え払いするのだから、カード会社の口座なんだぁと勝手に思い込んで。ってな、わけないですよねぇ。
カード会社に電話したら、2〜3日後に、女の子がやってきて、3ヶ月分の携帯料金を集金していきました。
全く知らない第三者の口座から、月々引き落とされ、しかもその人はまだ気づいていないのだそうです。「これから連絡ですぅ〜」と、しょぼくれていました。
マイルがたまるからなんて思ってカードであれこれ決済していると、こんな落とし穴があるんですね。さぁ、チェックしましょう。誰デスかぁ、めんどうだから明細なんてみてもいないなんて。
私や、てっきり神様が引き落としてくれているんだとも、一瞬思いました。

似ネコ

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先日、ブログで組合の悪口を書きすぎましたね〜。実は、大きい組織には、大きい組合だけでなく、スネものみたいに小さい組合があって、そこでがんばっている人たちもいますので、組合全部悪い!なんてのは、大なたすぎますよね。ただ、自分の所属するところの利益のみ愛しすぎると、他の不利益になることだけは、わかってほしいと思います。
プリンスホテルの気持ちがわかるばい。
先日、釧路から来た私の両親が、帰った後に、うちにいたそっくりな黒ネコが家のそばにいる。父は北見からやってきたのではないかと、言っている。ボケはじめだ!と母がキツイことを言ってきました。
あの〜、黒ネコなんて、ぱっとみ見分けつかんでしょうに。みんな真っ黒なんだし。
奇しくも、昔、2ひき黒ネコを飼っていたことがありますが、もちろん、身体の大きさや性格が違います。あとはしっぽの長さも。
かくいう私も、スタッフだったマリちゃんの部屋に遊びにいったときに、黒ネコが一匹いて、そのやせっぽちさに行方不明になってしまったうちのネコだ!と言い張ったことがあります。マリちゃんも、かんかんに起こってそれはもう十年以上も飼っていると。いや、マリちゃんウソついている!とまで、思いましたからね。
なんだかんだいって、もう12才になった残りの黒ネコ1っぴきのために、実は北見の家がなかなかみつかりませんでした。こちらでは、全市的にペットオッケー物件は、犬OK、ネコダメというのが常識になっていて、職場に近い街中では、条件がびったりというところが借りられなかったのです。あるのは昭和40年代にたてられたとか寒そうな家ばかり。引越の直前になって、インターネットでもういいかとあきらめて決めた物件は、一時間に1本のバスのところ。って言っても、おいおい、街から車で15分ほどでしょうに。いったい、どんな小さな街なんだ。
ところが、これが本当に大当たりで、住んでみてびっくりです。ガス、お湯、灯油ストーブの1ヶ月の料金がトータルで1万二千円前後なのです。札幌で住んでいたアパートよりあったかい。ほとんど、ストーブが動かない。北海道歴、40年以上、家の中で寒いと思ったことのない冬でした。こりは、本当にオネコさまとして感謝したいぐらいなのです…。
なんだかよくわからないけど、エコロジーな家。こちらではよく広告で光熱費ゼロの家とか宣伝していますからそんなのかもしれません。
ただ、その存在を認めて愛してあげること、必要以上にネコかわいがりしなければ、愛を与える相手は多い方が絶対、幸せで、朝早く起こされても起こる気になれんのですよね。
中の島でホームレスしていて、葉のお客様にもらわれていったネコたちの写真を見せてもらいました。まあ、幸せそうに、ネコ特有の上から目線だしとりました。育ての母も幸せそうでした。